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アラベスク (Arabesque) は、1977年にデビューし、1984年頃まで活動した西ドイツ(当時)の音楽プロジェクトである。 竹の子族などの支持もあり、80年代前期の日本における洋楽の人気の牽引車となり、日本発の人気は韓国・中国語圏などアジアにまで広がった。また、当時のソ連や中南米でも成功を収めたが、一方、本国西ドイツでは「哀愁のマリゴット」(チャート8位)しかヒットしなかった。 ==歴史== 1977年、西ドイツの実業家であるヴォルフガング・メーヴェス(Wolfgang Mewes)は、当時ドイツから世界に向けてヒットを連発していたボニーMに触発されて、自らもボニーMのようなプロジェクトを作りたいと思い立ち、傘下の音楽出版社でプロジェクトチームを組み、プロトタイプとして「ハロー・ミスター・モンキー」を制作、世界各地に売り込みをかける。 1978年、日本のビクター音楽産業が、「ハロー・ミスター・モンキー」の日本での発売権を獲得し、大ヒットを記録。日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1978年6月26日付から通算3週1位を獲得した〔コンピレーション・アルバム『ナンバーワン70s ORICON ヒッツ』の裏ジャケット。ナンバーワン 70s 80s 90s オリコン・ヒッツ も参照。〕。このヒットによって、それまでいろいろな人物が入れ変わり立ち変わりしていた「アラベスク」は、音楽プロデューサーにジーン・フランクファーター(Jean Frankfurter)、シンガー・チームにサンドラ・アン・ラウアー(Sandra Anne Lauer)、ミシェーラ・ローズ(Michaela Rose)、ジャスミン・エリザベス・フェッター(Jasmin Elisabeth Vetter)という固定したメンバーによるプロジェクトとして活動することとなる。 特に1979年から加入しメイン・ボーカルに起用された当時17歳だったサンドラ・アン・ラウアーは、美貌かつ小顔で手足が長いモデル体型の美女で、この頃の日本のアイドルにはいないタイプで人気を牽引した。アラベスクの活動停止後、1982年の日本公演・6thアルバム『キャバレーロに夢中』に参加した、キーボード奏者・ソロアーティスト・プロデューサー(作品にはマイク・オールドフィールドの「アイランド」、ヒューバート・カーなど)として活動していたマイケル(ミヒャエル)・クレトゥのプロデュースでソロ・デビュー、1988年に結婚(現在は離婚)、エニグマ参加に至る。 アラベスクとしては長らく活動休止状態だったが、2006年12月、オリジナルメンバーのミシェーラ(Michaela Rose)をメインボーカルに新メンバー、ザビーネ・ケンパー(Sabine Kaemper)、ジルケ・ブラウナー(Silke Brauner)の3人がモスクワのレトロ・FMフェスティバルにゲスト出演し、往年の曲を披露した。世界ツアーやニューアルバムのリリースも噂されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アラベスク (歌手)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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